また1人のQUEENファンを生み出した映画、『ボヘミアン・ラプソディ』

2019年1月16日水曜日

music

t f B! P L
QUEENってあれでしょ、We Are The Championsとか、We Will Rock Youのイギリスのロックバンド。ボーカルはヒゲのおじさんのフレディ・マーキュリーで、彼が亡くなった時は騒ぎになったとか。モノマネする人がいたっけ。洋楽は少しは聴くけど、80年代(以前)のロックはQUEENを含めて有名な曲をテレビで耳にした程度じゃないかな。まぁそれ以降の音楽もさして知ってるわけじゃないんだけど。

そんな僕が映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観に行こうと思ったのは、Twitterで話題になってたことと、これを期にQUEENを聴いてみよう(知ってみよう)という好奇心からだった。前者については、パシフィック・リム、マッドマックス 怒りのデス・ロード、ガルパン劇場版、シン・ゴジラなど、ここ何年かの間でTwitterで話題になった映画がいずれも自分の好みに合ったので、ボヘミアン・ラプソディもきっと気に入るだろうという期待があった。

どうせ観るならより良い音で、ということで、ドルビーアトモス対応の劇場でチケットを取った。平日の午後遅く、客層は若い人から年配まで様々。女性が多いような気がするけど、そうでもないかもしれない。期待しながら幕が上がるのを待つ。



(以下、構成や演出に関するネタバレが含まれるかもしれません。未鑑賞の方はお引取りください)



オープニング、いきなりのスケールに圧倒される。えっ、と思う間もなくシーンが替わり、物語が始まる。流れる音楽がどれもカッコいい。QUEENってこんな曲やってたんだ。この時代にこんな音楽が、もう存在していた……というか完成していたなんて。さらに映画の各シーンに合わせて作った曲ではないにも関わらず、どれもピッタリ。これは構成や演出がすごいんだ。こりゃ単なる話題だけの映画じゃなさそうだ。次第にストーリーに引き込まれる。フレディという人物に惹き込まれる。アーティストとしての彼、プライベートな彼。どちらも破天荒かつ魅力的。物語は彼を中心に進み、次第に光と陰がクッキリしていく。時代を考慮すると、彼の立場は想像以上に厳しかったに違いない。陰を抱えたまま物語は大詰めへと進み、再び光を受け、そして導かれる。

映画の途中から、おそらく僕はフレディに感情移入していたように思う。どこかのシーンから悲しみに囚われ、クライマックスのシーンでは始終目に涙を浮かべていた。感動などというものではない。性的なマイノリティが注目されやすいけれど、生まれや育ち、宗教もそうだ。稀有なスーパースターという存在もまた、マイノリティに違いない。振れ幅の大きな彼の人生に、僕の心もまた揺さぶられた。

元々この映画はQUEENを描いた作品だと思っていたが、どうやらフレディを中心とした物語のようだ。他のメンバー(正直名前も知らなかった)についてはメンバーとして描かれているだけ。それについての是非はあるだろうけれど、映画に関するメンバーのインタビューも合わせて鑑みると、正直どっちでもいいじゃん、と思った。観る人が好きなように解釈すればいい。事実と異なる描写や設定もあるようだけど、そこが気になるなら後から調べればいいだけの話。映画をしてQUEENを知ったかのように言ってほしくない層もいるのだろうけど、それもまた尊重すべき考え方ではある。

QUEENと同時期のバンド、例えばレッド・ツェペリンやイエスの曲は全然知らなくて、彼らの影響を受けている(二番煎じだとかオリジナリティが無い、と言いたい?)とか、彼らに比べればそこまでじゃないとか、そういう評価もあるようだ。これもまた、そういう評価もあるのだろうし、いやいや唯一無二の音楽だよ、と思う人もいる。僕もそうだ。QUEENの音楽はすごい。もっと早く聴いていればよかった。洋楽を聴くようになったのは大人になってからだし、そもそも音楽を聴くという行為自体も10代の頃はほとんど無かったので、早く聴く機会すら無かったのだけど。でもいいんだ、ファンを始めるのに年齢なんて関係ない。

ただ、ライブエイドの中継をリアルタイムで観られた年代でもあるし、フレディが存命な頃の新作にも触れられた年代でもあるので、惜しい気持ちはある。その当時の熱狂を共有したかった。その代わりに今、映画を観た人たちと共有していると言えよう。「リアルタイムで追えていなかった」という一見マイナスな、しかし執着とも取れるポジティブな熱意と共に。

そう、映画を観終わった後、僕はQUEENに関する映像や音楽や記述を片っ端から後追いしている。家事のお供はポケットに入れたiPhoneから流れる楽曲だし、QUEEN特集のヤングギターには飛びついたし(久しく雑誌は買っておらず、ましてや音楽雑誌なんてhide以来じゃないかと思う)、僕が生まれた年に撮影されたライブ映像やライブエイドの映像は何度観たか数えきれないほどだ。この状態でもう一度映画を観に行ったら、どんな気持ちになるだろう。また新たな楽しみが増えたわけだ。

映画のクライマックスのシーン。演奏された曲と、挿入されていく映像が混じり合って、フレディのこれまでとその時の心の内が表現されていく。自分がフレディになったかのような感覚。やり切った・出し切った感覚と一体感。あの感覚は何物にも代えがたい。

そして喪失。失われたからこそ惹かれているという面は否定出来ない。僕自身、人生において大きな喪失があって、未だにそれに影響されているのは確かで、だからこそフレディとQUEENも大きな存在になったのかもしれない。

と、だらだらと語らせてしまうくらいの俄なファンを1人生み出した映画、それがボヘミアン・ラプソディです。

このブログを検索

過去の記事

QooQ