ガールズアンドパンツァーの『語らなさ』

2016年2月1日月曜日

GuP

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Amazonプライムビデオで視聴して以来、すっかりハマってしまっている「ガールズアンドパンツァー」、略してガルパンですが。
思い返せば最後にハマったのは、まどマギです。というか、視聴したというか。その前は(この系統では)一部ライダーやプリキュア、更に遡ればエヴァという、アニメ等をほとんど見ない人なんです、実は。

こんなアニメ観ない私がハマったガルパンとは。
Wikipediaの作品解説がきれいにまとまってるので、そちらをご覧いただくとして。
Wikipedia ガルパン 作品解説

元々は3~4年前に放映された作品なので、もう山ほど語られてきていると思うのですが、まぁ言わせてくださいよ新参者にも。私のようにAmazonプライムや、バンダイチャンネル(こっちも無料視聴出来ます)なんかで観て今更ながらにハマった人もいるでしょうし、放映時以来離れてたけど映画版を期に戻ってきた人もいるでしょうし。何より同じ作品を愛する立場として、健闘を讃え合いたいじゃないですか(何の)!

※ここからはガルパン観てる方・特にハマっている方向けになりますので閉じております





ガルパンは戦車道が軸になっていて、”(西住流をはじめとした王道・正道である)本来の”「戦車道」と、みほが模索し手に入れた”私たちの”「戦車道」の構図があります。西住家では母と娘、姉と妹の構図があったり、黒森峰と大洗という学校同士の構図もあります。その他の伝統校たちも今までは本来の戦車道をヨシとしてきましたが、大洗・みほとの対戦を経て、「こういうのもイイね」と考えるようになり、結果映画へと繋がる形になりました。

また、この構図は、華道の家元である五十鈴家における母と娘という構図にも通じるところがありました。伝統と今、保守と革新、型と型破り。ガルパンという作品自体がぶっとんだ作品ではありますが、その中でも既存の概念をぶち壊す新たな風が吹いてきたのです。

とは言え、みほも華も、最初からぶっ飛んでたわけではありません。「型と型破り」と書いたように、元々彼女らもそれぞれの型を極めていて、それが為にみほは黒森峰で1年にして副隊長を務めていましたし、華も母をして「五十鈴流そのもの」と言わしめていたわけです。その上で壁にぶつかって、新たな道を探し始めた……というところから物語はスタートしています。ガルパンの、そして彼女たちの。

華についての試行錯誤などはほとんど語られていませんが、みほについては本来の戦車道と、私たちの戦車道の両方についてチャレンジする姿が描かれています。大洗のメンバーは本来の戦車道を身につけていくところからスタートしつつ、並行してみほの考えが浸透して行った結果として、私たちの戦車道を体得するに至っています。もともと戦車フェチである秋山優花里は別として、その他のメンバーは戦車なにそれ美味しいの?レベルからスタートして、最終話や映画では立派な戦車乗りに育ちました。

中でも私が一番注目したのは、武部沙織です。全くのゼロどころか、実に不純な動機で戦車を始めた彼女ですが、通信士として着実に成長を遂げていきました。まさかアマチュア無線の2級まで取るとは、誰が想像したでしょうか。

戦車以外の面でも、沙織の活躍は目立ちます。最初にみほに声をかけたのも彼女ですし、あんこうチームの皆をうまく繋いでいったのも彼女でしょう。ごはん会に参加したそうな(元は外様だった)秋山優花里をうまく誘ってあげたり、かねてから繋がりのあった冷泉麻子をマメにフォローしたり。

何より特に印象に残ったのは、幾つかのシーンやセリフです。

作品冒頭の、みほと知り合って間もないところ。みほ・沙織・華の3人でアイスを食べるシーンがありました。あそこで3人は同じさつまいもアイスを食べているのですが、不本意ながら戦車を再開することになって今後に不安な表情を見せるみほに対して、まず沙織が自分の(みほとは異なるトッピングの)アイスを食べてみるよう促します。ついで華も、また異なるトッピングの自分のアイスを差し出します。この描写は、同じ戦車道でも色んな個性があるんじゃないか・人それぞれでいいんじゃないか、という暗喩じゃないかと思っています。

また、作品中頃の、戦車ガレージであんこうチームがお昼を食べるシーンがあります。ここで沙織は「私たちの歩いた道が、戦車道になるんだよー!」と発言します。実に示唆的というかそのまんまというかなこのセリフ、とても気に入りました。ちょっと泣いた。みほも心の中で泣いたことでしょう。いや帰ってからボコを抱っこしながら思い出して泣いたに違いない。古典的な、クサいセリフですけども、ガルパンはこれでいいんです。

ガルパンはスポ根であると言われます。私もそう思います。
私の中では、私が最も愛するアニメ作品である「トップをねらえ!」に勝るとも劣らない作品と思っていますし、スポ根度も負けてないと思います。トップのそれは個人(せいぜい数名)の努力と根性と犠牲の上で成り立っていますが、ガルパンのそれは皆の協力と信頼の上で成り立っているところが大きく違うところです。どっちも大好きですが、家族や子どもを持った今の自分にはガルパンのほうが、よりしっくり来るようです。

と長々と書いてきましたが、ここに書いたような感想は、実は作品からダイレクトに得られるような部分は少なかったように思います。小説で言う「行間を読む」ようなもの、ガルパンがあえて語らなかった部分が、もっとも私に影響を与えたんじゃないかと思います。萌え少女と戦車という二大要素を目隠しに、ひっそりと伝えられたメッセージ。

昨年公開された映画「マッドマックス 地獄のデスロード」、あれもセリフや具体的な描写は最小限にすることで、視聴者に色んな感動や解釈を与えることに成功しました。私にとってはガルパンも同様で、その『語らなさ』が故に、大きな存在となり得たんだと思っています。

映画はまだ1回しか観ていませんが、おそらく回を重ねるごとに色々な気づきがあることと思います。単純なエンターテインメントとしての楽しみもありつつ、物語を味わうことも出来るガルパン。本当に良い作品だと思います。

要約:ガルパンはいいぞ。

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