神様がいるものなら、信じてみたかった - 尾崎かおり「神様がうそをつく。」

漫画とか、小説とか、アニメとか、映画とか。
ぶっちゃけた話、気になった作品があるなら勝手に手に取ればいいと思うし、感想も好きに言えばいいと思うんだけど、自分がそれをする際、そこには選択や公開の責任を自分に対して負うわけだ。いまいち自分に合わない作品もあるだろうし、読後感をうまく伝えられなかったりもするだろう。それでもその行動を起こすか否かは、そうでない場合と比べて、世界が違うとさえ言えるとは思う。やったもの勝ちというと語弊があるけれど、やった人だけが垣間見ることが出来る世界はあると思う。

出来れば、その選択についても公開すればいいと思う。でも、感想は難しい。いわゆるネタバレになってしまうと、自分はよくても、まだその作品に触れていない人にとっては嬉しくないかもしれない。最近は、そういうものに目を通してから作品に触れるという人もいて(中には、そうしないと不安だという人もいる)、その役には立つかもしれないけれど、やはり繊細な部分には違いないので、うまく伝えたり、時には伏せたりする必要があるかもしれない。
といった前置きを並べておいて、自らもそういった選択と感想について述べていきたいと思う。更新頻度は不定期だと思うし、取り上げる作品にも偏りはあるだろう。ただ、先に述べたように、行動することが大切だとも思うので。

第1回は、何にしようかな。読んだばかりの作品が新鮮でいいかな。尾崎かおり先生の「神様がうそをつく。」にしようと思います。




ということで第1回です。新刊ではなかったのだけど、Twitterで評判がよかったので買って読んでみました。

……読むんじゃなかった、という気持ちと。読んでよかった、という気持ちが、今も、ないまぜになっている。そんな感想です。

その理由は幾つかあるのですが、端的には主人公たちの置かれた境遇でしょうか。こどもの、家庭環境。もうそれだけでドラマの予感がしますね。その要素が、ストーリーの柱になっています。僕自身、多数派ではない境遇でもあったので、心情的にシンクロしてしまう部分がありました。
話としては、実は特別なものではないと思います。意外な要素こそあれ、それもなんとなく予感出来ることで。しかし、話がシンプルだからこそ、主人公たちの表情や気持ちが、痛いくらいに伝わってきました。どこを切り取っても泣いちゃうよね、あれ。
こどもが主人公の作品を目にした時、自身がこどもの場合と、大人の場合とで、印象は違ってくると思います。この作品は、大人が触れてこその作品。遠い昔の大切な記憶を揺さぶられるような感覚。夕暮れの、少し肌寒くなってきた時の、あの空気感。戻りたいような、でももう戻れない、あの日の。

書いてて少ししんみりしてしまいましたが、こどもたちは元気です。僕も自分のこどもの頃を振り返ってみて、当時は色々と思うことはあったのでしょうけれど、今思えばなんてことなかったりして。記憶なんて、都合がいいものですね。憶えていたいことだけ憶えてて、そうじゃないことは忘れてしまう。でも、忘れたんじゃなくて、消し去った記憶や、見えないところに隠してしまった記憶もあって。そういう記憶は、ふとした時に、不意に表出してしまったりする。自分でも、そんなことがあったなんて、と思ってしまうくらいの。

主人公たちも、そんな記憶、秘密を、抱えています。誰だって、ひとつやふたつ、秘密なんてある。大したことないよ、と今は思えます。でも、その頃の本人たちは必死です。もう0か1しかありません。そのためには、無茶と思えることだって、出来ると信じてぶつかりもします。信じているんじゃない、信じなくちゃやってられないんだと思います。

でも、ダメなんですね。こどものやることなんて、たかが知れています。どれだけ神様に祈ってみても、ダメなんです。こぼれた水は、二度とは戻りません。もしかしたら、もしかしたら、何とかなるかもしれない……僕も、神様がいるものなら、信じてみたかったです。しかし、現実は冷酷です。祈ることすら躊躇われるほどの冷たさを突きつけてきました。目の前が真っ白になって、全ての音が消えて。気がついたら、全てが終わっていて。

ひとつの小さな物語は、そこで終わりを告げます。しかし、お話しは続きます。過去は遠いものとなりますが、なくなったわけではありません。意識せずとも、何らかの記しを残していることでしょう。良くも悪くも、糧となったはずです。次に歩みを進めるための糧に。

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