Twitterは何に似ているか

2012年5月22日火曜日

ICT

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毎日毎日色んな話題がピックアップされて急速に拡散周知された挙句、翌日には綺麗さっぱり忘れられている特殊な場・Twitter。デマや古びたネタでも見出しだけ見てRTボタンをポチっと押されて一人歩きしてしまい「バカッター」などと揶揄されるTwitter(ユーザー)。

これが何かに似てるんじゃないか、という例え話は以前からあって、広場型だとか、道路的だとか、まぁ色々と例えられているのだが、上記のような一過性の話題がとにかく多い部分についてフォーカスされた例えはあまり無かったんじゃないかと思う。

では何だったら適切かと考えてみるに、これはお茶の間で家族でテレビや新聞を観ながら 、あーだこーだ勝手なことをつぶやいたり、少しやりとりしてみたりして、テレビが次の話題になると茶の間もその話題に切り替わり、番組が終わると会話も終了、勿論翌日に「昨日のアレだけど」なんて交わされることもない……という状態に似ているんじゃないかと思った。それが不特定多数のユーザー同士で作り上げられている、と。つまり「ソーシャルお茶の間空間」とでも言うべき場、それがTwitterなのではないか。

勿論、何かの話題を拾ってきて……という図式だけではなく、ユーザー自身が一次的に発信する情報も多いし、そこから掘り下げてやりとりされる会話も多々ある。それはそれで本来のソーシャルネットワークというかメディアというかそこらへんのものとして、先に挙げたような部分、これも結構な比率じゃないかと思う。

一次的な発信にしても、その大多数はフォロワーの目に留まって読まれこそすれ、何らかの反応を引き起こす確率はとても低いし、会話がなされる可能性もそう高くはないだろう。(そのあたりが多い人は、本来発言力がある人なだけだと思う)
結局はほとんどが独り言、ないしは茶の間でテレビを観ながら無責任に放言しあってるだけ、という状態ではないだろうか。

だから何、というオチがある話でもないのだが、必要以上にこのあたりに敏感な方もおられるようなので、自分自身はその程度であるという意識を表明してみた次第だ。

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