山ブームに思う

2010年8月7日土曜日

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空前の山ブームがやってきて、中高年を中心として山に親しむ人が増えてきた。山ガールなんて言葉が業界を活性化させて、メーカーも店も頑張ってる。

だけど、身近なところで「山始めたんです」って声はあまり聞かない。昔ちょこちょこやってた人が再開したってパターンは聞いたりする(中高年で)。富士山登ったことある!って人もいるけど、その後山には行ってなかったりする。どうも、世間で言われる山ブームと、実態には乖離があるような気がする。

その理由として、どんなスポーツでもそうなんだけど、プレーする側と、それを観る側がいて、大体は両方に所属しているのだけど、最初はもちろん誰だって観る側だ。そこからプレーする側に移行するに当たっては、例えばTV(映像)で観たり、本を読んだり、ネットで調べてみたり、やってる人に聞いたりして「よし、やるか」となるんだと思う。その時、どれだけ実態をイメージ出来るかは、重要じゃないかと思う。

ある程度親しんだ人でも、より高いレベルに移行しようと思った時にはそのレベルで初めて出会う現象や脅威、必要とされる知識や技術について改めて学び直さないといけないはずだ。山で言えば、1000メートル未満の低山と、アルプスなどの3000m級の山々と、ヒマラヤなどの超高所登山でそれぞれ求められるものは違うはず。

しかし、その高いレベルは当然経験者も少なく情報も少ないし、何よりイメージしづらい。草野球をやっている人が、イチロー選手に「どうやって結果残してるんですか」と聞いて、たとえ答えてくれたとしても、その答えは理解出来ないだろう。そのレベルでやってることは、そのレベルに到達して初めて理解出来ることなんだと思う。

話が少し逸れたのだけど、ともあれ未経験の事象に対してどれだけイメージ出来るか、というのは重要だと思う。それを支援してくれる何かがあれば、初めてそのレベルに足を踏み入れた時でも、何も準備をしていない時よりはマシじゃないかと思うのだ。

最近、よく遭難の報道を見かける。安易に救助を要請しすぎ、みたいな話は置くとしても、少し知っているだけで避けられる脅威というのは結構あるんじゃないかと思う。でも、それらは本を読んだ程度じゃイメージが湧かないんじゃないかとも思う。

そこで、例えば登山(クライミングや沢登りも含む)をバーチャルに体験出来るゲームとかWEBコンテンツ等があったらいいんじゃないかと思う。本を読んだり、「山は経験!」と実体験を強要したりするより、今時の人々には理解しやすいんじゃないだろうか。

もっとお手軽に「登山ロールプレイングゲーム」みたいなものがあってもいいと思う。色んなタイプの山行を重ねるとそれに応じたパラメータが成長して、装備手に入れると加算されたり。天気図描くとか、読図とか、そういうのも体験出来て。でもパッケージとしてのゲームだと商売を考えないといけないので難しいかもしれない。山道具メーカーや山媒体のWEBサイトの1コンテンツならばありうるだろうか。

こういうことを書くと、ゲームに対してお手軽イージー安易娯楽的なイメージを持っている人から反対意見が寄せられそうだが、学術用途や療養用途にも活用されているし、数多のシミュレーターなんて全てゲームといえなくもない。表現の一手段だと思えば、より広いターゲットに訴求出来る手段だと思う。

そういった批判的な人も含めた大抵の人は、色んなWEBサイトで何かを疑似体験していると思うのだけど、それと同じ方向性の話だ。結局ターゲットと目的と効果が明確であれば、おのずとアプローチ手段は定まってくる。それが本の人もいれば、ゲームの人もいる。山に関して言えば、(危険のないハイキング程度の体験は除いて)実際に体験するのはその後、という位置づけで僕は考えている。

こういった話題は、既に山やってる人にはあまり関係ない話かもしれない。しかし、僕のようになかなか高山にいけない人は沢山いるだろうし、より危険度の高いクライミングや沢登りに挑戦してみたいって人も多いだろう。そんな人々が、普段いけないような場所・出来ないような行動に、どういうリスクが潜んでいるか知るための一助になるのでは、という発想だ。

もちろん、山に行かない/行けない人でも、そういった人の話を聞いたりする際に、実態を知っていればより楽しめるだろう。プロ野球だってプレーしている人は数百人しかいないのに、あーだこーだ語ってる人は何百万人もいるじゃないか。それはひとえに、「やったことは無くてもよく知っているから」で、「イメージ出来るから」だろう。山も同じことで、観る側・やる側両方の底上げがなされれば、一過性のブームじゃなく、文化として根付くんじゃないかと思う。

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